muneo house(ムネオハウス)とは

86年ごろにシカゴハウスから派生したTB303(80年代前半にローランドが作り出したベース用の簡易シンセサイザー)と
アコースティックボイスを前面に出した、ドラッギーなハウスのことを指す。
このムネオハウスはヨーロッパで大ブレイクし一気にテクノ系のサウンドに火をつけるきっかけとなった。
アーティストとしてはDJピエール、アドニス、アルマンド、鈴木宗男などがルーツで、レーベルとしてはTRAXが有名。

THE MUNEO HOUSE(TMH)とは

80年代当時、まだまだ前衛的、先進的だったテクノミュージックの一ジャンル"ムネオハウス"を、
テクノミュージック、さらには世界的な音楽ムーヴメントのメインストリームにすることを目的に、
DJ MUNEO(鈴木宗男)を中心としたサウンドワークチームDFCが展開したユニット名。
ユニットとは言っても、DJ MUNEOと数名を中心とした不特定多数によって形成されており、
楽曲の世界観や、時代性などによりフィーチャーされるアーティストも様々である。
そしてTMHはその名の通り、ジャンル-ムネオハウスの象徴的な存在となった。
2002年4月現在までにCDを全世界で通算7000万枚以上売り上げている。

2002年になってからは、世界的に有名なサウンドワークのトータルプロデュースチーム"TR-774"とコラボレーションを開始。
作詞作曲、アレンジ、レコーディング、ミキング、 さらにはジャケットなどのビジュアルデザインやプロモーションビデオ、
CD流通までを"TR-774"と連携し、全てをチーム内のみで行うという、独特の楽曲製作流通手段を確立した。

1978〜 DJ MUNEOがイタリアでサウンドワークチームDFCを結成
1982.04 DFCがプロデュースしたアーティストが初めてUKシングルチャートで1位を飾る。
・Jennifer Sans 「VERMILLION」(MEM-2530)
1986.06 DFCがTHE MUNEO HOUSE(以下TMH)名義でmuneo houseジャンルを中心とした音楽活動を開始。
1989.10 DIVA MAKIKOをプロデュース。DFCとしては初の日本人アーティストのプロデュースであったが、大成功を収める。
・DIVA MAKIKO 「Obuchi-san Odabutsu-san」(MEM-3401)
1992.01 TEAM DFCがTMH専属のサウンドワークチームという形態に変更される。
1996.11 DJ MUNEOの元に、MC TsujikiyoやDIVA MAKIKOなどの一流アーティストが集まり、現在のTMHの原型が生まれる。
2002.02 プロデュースチーム"TR-774"と連携。日本とEUで同時にデビューを果たす。
・MUNEO SUZUKI / 「THE MUNEO HOUSE」 (VJCP-77430)